長州力

  • アスリート
  • 元プロレスラー

プロフィール

名前

長州力

生年月日

1951年12月3日

出身地

山口県徳山市

血液型

O型

サイズ

184cm/120kg

得意技

リキラリアット サソリ固め

ニックネーム

革命戦士

テーマ曲

パワーホール

経歴

 専修大学時代にレスリングで活躍し、1972年ミュンヘンオリンピックに出場。
1974年8月8日、アントニオ猪木率いる新日本プロレスにて東京・日大講堂におけるエル・グレコ戦で本名の吉田光雄でデビューし、サソリ固めで勝利をおさめる。
 ファン公募により「長州力」に改名するも、しばらく地味な中堅レスラーであったが1982年、遠征先のメキシコから帰国後に突然新日本プロレスに反旗を翻し、当時、猪木に次ぐスター選手であった藤波辰巳(現・辰爾)との抗争に発展。この藤波との一連の闘いは「名勝負数え歌」と称され日本中が熱狂し、史上空前のプロレスブームを巻き起こした。1984年に新日本プロレスを電撃退団。同年12月に自らジャパン・プロレスを旗揚げし、全日本プロレス/日本テレビに主戦場を移す。
 1987年5月、新日本プロレスへ復帰。90年代にはプロデューサーとしても手腕を発揮し、全国ドームツアー成功、東京ドーム観客動員記録樹立(当時)など新日本プロレス黄金時代を牽引した。1998年1月4日、東京ドーム大会において惜しまれつつ現役引退。しかし2000年7月30日、大仁田厚からの度重なる挑発を受けて有刺鉄線電流爆破マッチで現役復帰。2003年3月にWJプロレスを旗揚げ。2004年の団体消滅後は、再び新日本プロレスへ電撃参戦してファンを驚かせた。2010年に藤波辰爾、初代タイガーマスクらと共に「LEGEND THE PRO-WRESTLING」、2018年に自身のプロデュースイベント「POWER HALL」をそれぞれスタートさせ、2019年6月26日東京・後楽園ホールで完全引退。波乱万丈のプロレス人生の幕を下ろした。
 2019年暮れに突如としてTwitterを開始。その後はYouTubeやTikTokなどで次々と自身のアカウントを開設し今や総フォロワー数は100万人を超えるなど今やインフルエンサーとして現役時代を全く知らない若い世代からも高い支持を得ている。

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